(しんぼ かつのり)
合同会社オールズバーグ 代表/編集者
石川県金沢市出身。大学進学とともに上京。
ベネッセ、リクルートグループを経て2006年に出版社を設立。以後、数々の書籍を手がけ、現在は「事業が伸びる本」の企画にこだわり続けている。
本との出会いは、市立図書館だった。小学 4 年生のころ、兄に連れられて毎週通い、当時の貸出上限だった 3 冊を毎回きっちり使い切って帰った。絵本から難しそうな本まで手当たり次第に借り、背伸びして失敗もしながら、児童文学が自分に合うと気づく。筒井康隆も赤川次郎も、子ども向けの江戸川乱歩も読んだ。半分もわかっていなかったと思うが、面白かったことだけは確かだ。
惹かれたのは物語だけではなかった。書棚を埋め尽くす「もの」としての本そのものだった。読んでも読んでも、まだ本がある。その光景に打たれて、「本を書く人」ではなく「本を作る人」になりたいと思った。なぜ書く側ではなかったのか、いまだにうまく説明できない。
担任の稲垣先生に打ち明けると、「大学を出れば本を作る人になれるよ」と言われた。先生にどこまで根拠があったのかは知らない。ただ、こちらは全面的に信じた。そして、満点が取れる自信のあった算数を武器と定める。作戦としてはかなり大ざっぱだが、本人は大真面目だった。高校は理数科、そのまま東京理科大学理学部数学科へ。ここまで来て、大学さえ出れば本が作れるという話は、さすがにもう信じていない。
理科大といえば落第で名を馳せる学校だが、相変わらず数学が得意だったおかげで、その名物には縁がないまま卒業できた。小学 4 年生の作戦が、思わぬところで効いたことになる。在学中はマスコミ予備校にも通い、作文対策を重ねて、福武書店(現・ベネッセコーポレーション)に入社した。
出版に関わる最初の配属先は、『たまごクラブ』『ひよこクラブ』の編集部。作りたかったのは書籍だったが、当時の売れっ子は雑誌のほうだった。その後、雑誌販売、書籍販売へと移る。ここで学んだのは、本は工夫すれば売れ、特徴がなければ売れない、という単純で厳しい事実だった。「本は、読むもの・作るものである前に、売って届けるもの」という考え方は、このときに身についたものだ。売る側から書籍の世界に入ったことは、いま思えば遠回りではなく近道だった。
ベネッセの出版事業撤退にともない、リクルートグループの出版社メディアファクトリーへ移り、書籍営業の責任者を務めながら、少しずつ本づくりにも関わるようになる。
2005 年に退社。1 年の準備期間を経て、2006 年、自身の 1 社目の出版社「リンダパブリッシャーズ」を設立した。第 1 作は、設立準備と並行して映画化の売り込みまで進めていたため、刊行される前に映画化が決まっていた。順番がおかしい気もするが、とにかくそういう船出だった。以後 12 年間で、映画化された作品は 4 本、累計 250 万部のシリーズも生まれた。一方で、本を作る力と会社を経営する力は別物である。2018 年、同社はその歴史を閉じている。
同年、2 社目となる合同会社オールズバーグを設立。社名は、『ジュマンジ』や『急行「北極号」』で知られるアメリカの絵本作家クリス・ヴァン・オールズバーグから取った。子どものころ図書館の書棚の前で受けた感銘への、ささやかな原点回帰である。
ビジネスモデルは大きく変えた。自社のリスクでヒットを狙うのではなく、企業から費用をいただき、その企業の成長に役立つ本をつくる。売れなければ赤字という緊張感がない分、別の宿題が残る。お金をいただいて本を出すだけでは、意味がないということだ。リンダパブリッシャーズ時代に、一冊の本をきっかけに売上 3 億円の会社が 3 年で 30 億円になる場面に立ち会った。その社長のもとへ「何をしたんですか」と聞きに行ったところから、事業が伸びる本の企画にこだわり続けている。
現在は扶桑社と提携関係にある。2026 年 8 月現在、商業出版 4 冊、ブランディング出版 21 冊を世に送り出してきた。
なお、ブランディング出版として手がけた書籍は、著者である経営者ご本人のものとして届けるという考えから、書名を公表しない方針をとっている。
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